「39 歳10カ月、駆け込むようにして不妊治療外来の門をたたいた…」 2人目不妊による不妊治療を経て10年ぶり41歳で出産した大堀恵さんインタビュー

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「めーたん」の愛称で親しまれ、AKB48、SDN48で活躍し、グループ卒業後もタレントとして活動している大堀恵さん。2024年12月、10年ぶりに41歳で第2子となる女の子を無事に出産しました。しかし、30歳で妊娠・出産した第1子のときとは異なり、出産までは紆余(うよ)曲折があったそう。ご自身も想像もしていなかった妊活の大変さや長女とのこと、高齢出産となった今回の出産のことなどについて、大堀さんに聞きました。全2回インタビューの前編です。
自然に授かると思っていたら、あれよあれよと9年が…
2024年末に、待望の第2子を出産したと発表した大堀恵さん。30歳で長女を妊娠・出産した大堀さんにとって、実に10年ぶりとなる、40歳での妊娠、41歳での出産でした。
「2014年に生まれた長女は10歳、小学4年生です。まわりのお友だちにはきょうだいがいる子が多い中、10年くらいずっと一人っ子として育っていたので、どんなふうに思ってきたのかなと思って、何度か聞いたことがあるんです。
すると、『私は一人っ子がいいの。パパとママの愛情を全部1人で受け止められるから一人っ子がいい』ってずっと言っていたんです。娘はそういう考えだったんですけど、私と夫は、長女の誕生直後から、なるべく間をあけずに2人目が欲しいと思っていました。
ただ、長女は帝王切開での出産。医師からも少なくとも1年は空けてと言われたので、長女の出産後2年間は空けようという考えでした。私は2013年に結婚して、割とすぐに長女を妊娠できたということもあって、2人目も自然に授かるだろうと思って、妊活はゆる~くしていたんですね。そしたら、あれよあれよという間に時間がたって、気づけばあっという間に9年が過ぎていたという感じでした。
そんなときに、不妊治療の保険適用の条件で、治療開始時点の年齢が40歳未満と40歳以上では通算助成回数が変わる※ことを知ったんです。不妊治療の保険適用が6回できるのは女性側が40歳になる前に治療を開始した場合だけ。私はそのとき39 歳10カ月。本当にギリギリだったので、駆け込むようにして不妊治療外来の門をたたいたんです」(大堀さん)
※令和4年4月から不妊治療が保険適用されていますが、治療開始時において女性の年齢が43歳未満であるという年齢制限のほか、回数の要件があります。初めての治療開始時点の女性の年齢が40歳未満の場合、保険適用の回数の上限は通算6回まで(1子ごとに)、40歳以上43歳未満の場合、通算3回まで(1子ごとに)が保険適用となります。
2人目も自然に授かるだろうと思って過ごした30代。しかし、思うように2人目を授かれず、不妊治療をスタートさせた大堀さん。そこでも、すぐに妊娠には至らなかったそうです。
「あるクリニックで半年くらい頑張ったんですが、なかなかうまく授かれなくて。するとやっぱり落ち込むんですよね。でも、長女には不妊治療をしていることを内緒にしていたので、落ち込んでいても、こちらの気持ちを長女に悟られないように振る舞わなくちゃいけない。そういうことが、徐々に負担になっていたみたいで、心のバランスを崩してしまったときもありました」(大堀さん)
そんな中、大堀さんは流産を経験します。いったんは妊娠が確認できたものの、赤ちゃんの心拍は確認できませんでした。
「とても落ち込みました。が、やっぱり長女にはこのことを悟られないようにしなくちゃいけない。だから、長女の前ではいつものように振る舞っていたし、夫とも流産についてはメッセージアプリで『また、頑張っていこうね』のようなやりとりをしていたんです。
そんなときに、ある夜、長女と一緒にベッドに入ったら、長女が急に『ママ…ごめんね』って言い始めたんです。何かと思ったら『ママ、流産したんでしょ?私、ママがつらいときに、何も知らなかった…』って号泣するんです。
『夫と私しか知らないはずのことをどうして知っているの!?』と驚いたんですが、実は前日、たまたま長女が私のスマートフォンを使って夫に連絡する機会があり、そこで長女は『流産』という言葉を見てしまったそうなんです。
号泣する長女を見て、彼女の気持ちがものすごく揺れ動いているのを感じました。そこで夫にも来てもらって、その夜は3人でいろいろと話をしました。
とくに長女には『あなたが生まれてきたことは本当に奇跡。赤ちゃんはすぐに授かれるものではないし、簡単なことではないんだよ。それはママも10年間感じてきた。あなたは、ママとパパが赤ちゃんが欲しいと思ったときにすぐに来てくれたけど、そういうことばかりじゃないんだよ。そして、それはママだけじゃなくて、そういう方もまわりにはたくさんいるんだよ』と、命の奇跡について話しました。
私の流産を知った日には何も言えなかった長女。彼女なりにひと晩いろいろと考えたんだと思います。1日どんなふうに考えながら過ごしたんだろうと、彼女の気持ちを考えるだけでもグッときますし、翌日耐えきれずに、言葉を選びながら私に話してくれたのかと思うと胸が痛かったです。
このことがあって、家族の一員として、人として、母として、娘にもちゃんと話さなきゃなと思いました。不妊治療期間の私を支えてくれた存在として、夫はもちろんですが、長女の存在はとても大きかったと思います」(大堀さん)
そうして、心と体の回復のため、少しのお休みを経て、大堀さんは、再び不妊治療をスタートさせたのです。