たまひよ

「妊娠14週で赤ちゃんに障害があることがわかり…、でもあきらめる選択肢はなかった」政治家で医療的ケア児の母・野田聖子議員。家族の幸せと社会の課題

  • 「日本でいちばん有名な医療的ケア児の母親」と言われることもある野田聖子さん。野田さんは49歳で卵子提供を受けて妊娠、50歳で待望の赤ちゃんを迎えました。長男は先天性の病気のため生まれてすぐに手術を受け、14歳になった現在も胃ろうによる栄養摂取や夜間の人工呼吸器利用などの医療的ケアが必要です。
    野田さんに、妊娠中に赤ちゃんに障害があるとわかったことや、医療的ケア児を育てる母としての思いについて聞きました。全2回のインタビューの後編です。


    「またチャレンジすれば」と悪魔のささやきも



    ――卵子提供による体外受精の結果、49歳で妊娠したあと、おなかの赤ちゃんに障害があるとわかったそうです。

    野田 妊娠14週のころでした。いつもどおりに妊婦健診に行ったら、担当医が「なにか変だ」と言うんです。「背中に浮腫が見えてるから障害がある可能性がある」とか、「おなかから肝臓が飛び出ていて、胃の位置がおかしい、心臓も何かある」とか、エコーを見ながら状況を説明してくれました。

    そして、「自分の知る限りこういう子はおなかの中で育たないと思うし、生まれてきても重度の障害があるでしょう」とはっきり言われました。

    神様は、私の人間性を試しているのだと思いました。凍結受精卵はまだあったから「またチャレンジすれば」という悪魔のささやきも聞こえました。だけど、重度の障害があるとわかったからって、今回はあきらめてもう一度チャレンジするのは違うんじゃないかな、と強く思いました。私の所に来てくれた赤ちゃんをあきらめることは、私の選択肢にはありませんでした。

    私は仕事柄、障害のある人のことをある程度知っていましたし、私自身の経済的な面からも育てていけると、私の心はすぐに決まりましたが、一緒に医師の話を聞いていた夫は「やっぱり育てるのは無理なんじゃないか」と不安だったようです。もちろん、さまざまな理由で妊娠をあきめる人のことを批判はしません。障害がある子の子育てはとても厳しいものですから。

    ――「おなかで育たないかもしれない」と言われながら、妊娠経過はどうでしたか?

    野田 妊娠中には「いつ育たなくなってもおかしくない」と言われ続けていたので覚悟はしていましたが、赤ちゃんは少しずつ大きくなってくれました。ですが、妊娠7カ月を過ぎた秋、切迫早産で入院することに。それから出産までの約2カ月半、病室で安静にしながら仕事をしていました。妊娠後期は羊水過多でかなり苦しい状態が続き、2011年1月、予定帝王切開で男の子を出産しました。

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