たまひよ

「ほかの子と違うかも・・・」、自閉症の長女にずっと感じていた違和感。預け先が見つからず・・・、復職にあせる日々【体験談】

  • 「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」という団体があります。障害児や医療的ケア児を育てながら、働き続けたい親たちが、ゆるやかにつながり、支え合っている会です。会長で朝日新聞社に勤務している工藤さほさんの長女は、自閉症で重度知的障害があります。自身が仕事と育児の両立に悩んだ経験から、同会を立ち上げました。
    長女を預ける施設を見つけるのが大変だったという工藤さんに、障害がわかった当時のことを聞きました。全3回のインタビューの1回目です。


    眠らない、泣きっぱなしの長女に「ほかの子とは違うかも・・・」と感じる日々



    ――工藤さんは現在、17歳の長女、15歳の二女の子育てをしながら新聞社で働いているとのこと。記者になったことや、結婚の経緯を教えてください。

    工藤さん(以下敬称略) 1995年、新卒で記者職として入社しました。前橋総局、福島総局をへて、東京本社と名古屋本社で家庭面やファッション面を担当しました。記者をめざしたのは「真実を知る仕事がしたい」と思ったからです。正しいデータを集め、多角的に事実を突きつめていく作業に難しさを感じつつ、おもしろさを感じていたこともあります。

    夫と出会ったのは前橋で働いているときです。2006年、33歳のときに結婚しました。子どもに恵まれますようにと夫婦の思いを込めて、入籍は5月5日の子どもの日を選びました。

    ――妊娠・出産について教えてください。

    工藤 結婚後まもなく35歳目前で長女を出産したのですが、臨月間近で夫が東京から名古屋に異動となりました。夫の近くで出産したい、夫婦で子育てしたいという思いから、バタバタしながら名古屋で産院を探し、出産しました。産休・育休を取得しましたが、子どもが1歳になったら保育園に預け、産前から所属していた部署に、記者として復職する予定でした。

    ――出産後、長女の様子に気になることがあったとのことですが。

    工藤 気になることはいろいろとありました。最初に心配だったのは、生まれつき頬に赤あざがあったことです。「単純性血管腫」と診断されました。生後3カ月以内にレーザー手術をしないと消えないリスクがあると説明されて・・・。こんな小さいときから手術をして大丈夫なのか、かえって赤みが強くなったらどうしようなど、心配でした。

    また、股関節がはずれている「先天性右股関節脱臼」であることもわかりました。将来歩けなくなると困るので、リーメンビューゲルという装具を装着し、治療しました。

    何よりもふだんの生活のなかで大変だったのは、眠ってくれないことでした。朝でも深夜でも泣きっぱなしで、ずっと抱っこしていました。私もまとまった時間眠ることができず、フラフラの毎日だったんです。
    股関節脱臼の装具をつけていた生後8カ月のころは、医師の承諾を得て椅子タイプのバギーに乗せ、ひたすら歩きまわっていました。

    ――「この子は何かが違うかも・・・?」と感じ始めたきっかけはありますか?

    工藤 地域の子育て広場に連れて行くと、ほかの子はおとなしく過ごしているのに、娘は初めての場所や屋内が苦手で号泣してばかり。屋内にいるときは抱っこしてゆらゆらと動いてあやし続けていました。おもちゃにはほとんど関心を示さず、何をしたら楽しめるのかいろいろ試しました。

    私の姿が見えないと大泣きするので、片時も離れられず、ほかのお母さんたちと話をする余裕もなかったです。
    離乳食が始まっても、スプーンをうまく使えませんでした。同じくらいの月齢の子がスプーンを上手に使うようになったころでも、娘はどうしたらいいのかわからないようで、ただ握っているだけで・・・。
    とにかく手がかかり、「育児ってこんなに大変なんだ」と想像以上のハードさにただ、ただ驚く毎日でした。

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